風の便り
ブラジルG AKM
●ブラジルGの紹介
ブラジルGは、ブラジル南部サンパウロ州ジャグアリーウナ市にあります。発足は、1988年にブラジルから日本のyamaguishism Gで2年の研修を終えた7人の若者達が帰国し、ブラジルでもブラジル人によるGを造りたいという願いから、7人がそれぞれ持っているもの全部を持ち寄って、生活が始まりました。
そして1991年には、ジャグアリウーナから北に80kmのモジグアスーに、1000ヘクタールの農場でオレンジ栽培を始めました。現在は、バレンシア、ペーラ、ネーブルなど10種類のオレンジを、ジュース用と生食用に年間約2万2千トン作ってます。6月から12月にかけて収穫が行われます。
現在の実顕地メンバーは、ブラジル人メンバー8人と日本人メンバー10人、8世帯で構成しています。オレンジ園以外にも養鶏や野菜栽培をしていますから、鶏卵と野菜と果物を、カンピーナス市近辺とサンパウロ市に宅配方式で届けてます。
●最近のG様子
ブラジルG今年で発足20年で、当時20代30代だった若者も、50代のおじさんになり、子供達も大学に通ったり、日本へ働きに行ったりしていて、これからは後継者のことを考えざるを得ないこの頃です。嬉しいことに、今年は私の息子のアナンドが3年間の日本滞在から帰って来て、Gの野菜畑でやってます。また、小出みどりさんも、日本から交流に来ていて、若いエネルギーでGを賑わせてくれてます。
オレンジ園ではデコポンも15ヘクタール作っていて、これは7年前に日本から取り寄せたもので、ブラジルの気候でよいものが出来るだろうかと試験的に始めたものですが、2年前から収穫が始まり、今年は100トンくらい出荷できそうです。ブラジルでもデコポンは人気で、今ではデコポン栽培を始めた日系農家が増え、デコポン栽培研究会なるものが結成され、栽培担当の大角信三郎さんが、そこに積極的に参加してます。
最近の大きな出来事は、ホメウとアナホーザの結婚式でした。初めは本人達の希望もあって内輪だけの式とFesta(披露宴)にしようという案だったのですが、準備していく段階でどんどん拡張してしまい、結局は親戚限定Festaと、yamaguishii会会員+友人Festaと、2回に分けてやってしまいました。合わせて200人近くが集まりました。Gでは新婚さんを受け入れるにあたって、今までの長屋方式の家も見直して、同時に、トイレや居間の増設など、改造も考案中です。
●ブラジルのTOKKOUHと会員の動き
現在のブラジルでのyamaguishii会活動ですが、ブラジル幸福会yamagishii会支部主催で、TOKKOUH(年5回)、幸福kensan研、Kensangakkou(年1回)が定期的に行われています。カンピーナス市、サンパウロ市、クリシウーマ市、バウルー市では、定期的に地域の会員達が集まって、幸福kensan会が開かれています。カンピーナスでは会員のNenaの家とDemetrioの家で交互に毎週木曜日に幸福kensan会が行われていて15年間続いています。僕も月に何回か参加しています。参加者の中には、kensan会の後の2次会のワインが目当てで集まる人も(僕もかな?)いたりしまが……。
tokkouhも、地域の会員達と一緒に北はモンテスクラーロ市(2000km)、南はCriciuma市(1000km)で開催できるようになって来ました。これからが楽しみです。
●いま、G生活をやっていて思うこと
先月、「3日間合宿集中幸福研鑽会」という名称で、Gメンバーと地域会員が20人で集まって、山岸さんの書いた「二つの幸福」という資料を使って研鑽し、いろいろ出し合いました。
kensan会の中では「幸福感と真の幸福の区別が解らない」と意見が出たり、「本当の人生を知らず、本当の自分を知らず、本当の生き方をしない」という文章があって、それはどういうことなんだろうかと考え込んだりしてしまいました。「幸福感」については資料の中に解りやすく細かく書いてあるし、日常的にも思い当たることが多いですが、しかし、「真の幸福」については、詳しく書いてありません。私は、これは先ずは区別がつかないことの自覚と、本当を知らないことの自覚から、始まるのではないかと思いました。このことをもっとKensanしないと、私たちが日頃、G生活をやっていても、単に「幸福感生活」をおくっているになりかねないです。何を指してG生活というのか、問われているように思いました。さらにこのことは、私たちが現在、幸福運動をやっているといっても、それが単なる幸福感運動になりかねないことを心しておく必要を感じました。
これからやっていきたいことは、「先ず仲良し、そして本当の仲良し」です。先ず仲良し夫婦、そして仲良し社会を造っていきたいです。
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From:
Date: 06/01/2008 23:03
Subject: Re: けんさん紙
To: alamkenjiminowa@gm
今日、吉田牧夫さんがこんな事を言っていました。賢治さんの文章に、二つの幸福からの抜粋のところが有るでしょう、あれは'本当の自分を知らず'ではなく、'本当に自分を知らず'の間違いではないかと言っといてほしいと>>賢治さんの書き間違いか、掲載間違いか??とこだわっていました。
意味としては、本当の自分を知らないという意味と、本当に、自分を知らないという風に全然違うんだそうですが>>
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From: alamkenjiminowa@gm>
Date: 08/01/2008 10:09
Subject: Re: 原稿確認
To: 松本さん
僕の原稿には、「二つの幸福」から、抜粋したつもりで、
「本当の人生を知らず、本当の自分を知らず、本当の生き方をしない」 とあるけど、 「本当に人生を知らず、本当に 自分を知らず、本当の生き方...ではないかと、記事を読んだ人から、指摘がありました。確認したら、そのとうりでした。
の、 と に、では、意味が違ってきますね。
先ずは「本当に人生」をしって、そして「本当の人生」を知る(或いは生きる)という順序になるのでしょうか。それとも、「本当の人生」とは、知り得ないような、ものなのだろうか、考えてしましました。いずれにしても、僕の強調したかったのは、「自覚」、「無自覚」の部分なのですが。
できたら、訂正したらと思いますが、どうでしょうか?
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From:
Date: 08/01/2008 22:47
Subject: Re: 原稿確認
To: alamkenjiminowa@gm...吉田さんに伝えておきます。吉田さんは、今、釈迦の生き方から考えているらしく、本当に人間は無知なものであるという、謙虚さに立つことが大切ということをいいたかったのではと思います。本当の自分を探すからいつまでも探せないとかいっていましたが>>
山岸さんは何を言いたかったのかわかりませんが、辻屋さんは、賢治さんが言いたかった、無自覚ということは伝わっているのではと、言っていますし、多分そういう中身は伝わっているかと思います。ただ、研究している人は指摘があるかもしれないと思い伝えました。私も、よく解りませんが>ポルトガル語に訳したとき、はっきり違ってくるので、意識したほうがいいのかもしれませんね。
1月1日のkensan紙だったこともあり、いろんな方が、声をかけてくれました。信さんは、「ブラジルでとにかくここまでやってきたことが大きい、よく書いてくれた」といってました。
ある人は、ブラジルにも行ってみたくなったといっていました。中西真理子さんは、すぐに、優子さんに送ってくれたようです。私も、隼人くんと、祐子ちゃんに送りました。吉田さんにも送ろうと思います。
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